こんにちは! mikoと申します。
次から次へと新たな病魔と闘い、乗り越え続けた20年間に終わりを迎え、昨年、10月 とうとう帰らぬ人となってしまった夫に「お疲れさまでした!」と言葉をかけました。
病との闘いは20年間と長期だったのに、最期、ベッドでの生活は1ヶ月足らずの短い25日間でした。
葬儀や満中陰やらと「お寺行事」が慌ただしく過ぎ去って半年余り・・・
ふと、その慌ただしさから解放された瞬間「悲しみと寂しさ」が襲ってきます。
こんなにも「あっけなく、介護という介護もしてあげられないまま」逝ってしまうなんて・・・
後悔の想いばかりが募ります・・・
20年前に閉めざるを得なかった生業の名残りが詰まった倉庫の整理。
よくぞ、こんなにも詰まっていたのかと、機械類や工具に、部品にと、まだまだ使える商品など・・・を 目にした途端、涙と共に懐かしさが込み上げてまいりました。
「元気な内に整理しなくては」と言いつつ、そのままに・・・・
夫が亡くなった今、片付けなくてはと倉庫整理に奮闘すること2ヶ月余り、何んとか新年を迎えるまでに整理することが出来、安堵したものでした。
次に控えしは遺品整理です。
この整理は、ゆっくりで良いと考えていますが、寂しさが募って、なかなか進みません。
少し時間にゆとりが出ると思い出すのは【夫と過ごした最後の時間】です。
自宅で最期を看取る辛さと「助け船」に出会えた体験をお伝えすることで、介護のお役に立てればと投稿いたしました。
最後の受診日
9月7日、最後の受診日
もう治療は難しいことと、残された時間の大切さを告げられました。
そして夫は待合に待機、私は相談室にて
- 介護認定の申請をすること
- 身近な病院の選択
- 訪問医師の確保
の指導を受け、看護の大切さと最期の看取り準備の覚悟を促されました。
介護認定の申請
9月9日「介護認定申請」提出
いよいよ「介護生活」がスタートです。
- ケアマネジャーの選択
- 親しい医師(夫の友人)に相談
- 看取りの医師は友人に決定
- 食事の代用点滴受ける通院
- ケアマネジャー来訪面接
- 市役所介護福祉担当者来訪面接
など、ここまではスムーズに進行するが「介護認定」決定には時間がかかります。
待ち遠しい「介護認定」
9月21日 「介護認定聴き取り調査」の担当者来訪
9月21日夜 トイレで転倒
9月22日 歩行場所に手摺取り付ける(介護保険利用できず)
9月27日 歩行困難始まる
9月28日 介護ベッドレンタル始める(介護保険利用できず)
患者の錯覚
歩行困難が始まっても、本人はまだ歩けると思っているらしく【トイレに行こう】とベッドから降りようとするのです。
勿論、立てません
倒れます
目が離せません
その上【介護用ベッドが必要になる】と云うことは、当然のように「紙パンツ」から始まり続いて「紙おむつ」が必要になってきます。
しかし、時間は待ってくれません。
必需品は購入せねばならず、夫を独り置いて出かけます。
そんな会話をして出かけるのですが、気になりながら急いで【買物】を済ませ帰宅すると
このあり様です!
こんな姿を繰り返す日々はとても辛かったです。
「介護認定」決定通知
10月12日 「認定通知」届く
やっと「介護支援が受けられる」と安心するや、同居人が居ると支援の内容に制限があるらしく、受けられない支援が多く、これにはビックリ と同時にガックリ
私にはもう一つ、6年前から実姉の介護支援も重なっていて「介護制度」に、少しは理解していたけれど【独り暮らし】と【同居人が居る】のとでは受けられる支援が同じではなく、大きな違いがあることを今回初めて知りました。
「助け船」との巡り合い
「介護支援制度」にショックを受けたけれど「ケアマネジャー」の判断で
「訪問看護制度」の利用を指導していただき、これが私にとって大きな「助け船」となりました。
寝た切り状態の看護経験が無く、夫が初めて看る家族であり、右も左も判らず、正直、戸惑いながらの日々に「最期はどうなるのだろうか?」と不安を抱いていました。
ケアマネさんの手早い準備で 10月13日「訪問看護」がスタートしたのです。
【訪問看護】は
- 24時間体制での電話受付支援があり場合によって駆けつけてくれます。
- 主治医との連携あり
- 毎日訪問看護が受けられます。
- 身体の清拭
- 口腔ケア
- 希望により【入浴・シャンプー】可能
など受けることが出来、困ったことがあればいつでも相談できますので家族にとって安心して頼れる大きな「助け船」です。