脳梗塞の後遺症を抱えても、独り暮らしを続ける 姉の姿を身近で見守りながらの生活は7年目を迎えようとしています。
今更ながら「左半身麻痺」の困難を克服しながらの姿を目の当たりにして「どうすることも出来ない歯がゆさ」と 身近でみる「後遺症」とはどんなものなのか 「リハビリの効果」などをお伝えしたいと思いますので最後までお付き合いいただければ嬉しいです。
脳梗塞発症時を振り返る
20年間の闘病生活に終止符を打ち、永眠へと旅立つ夫を見送り、私は今、姉の介護に専念しています。
その姉も、「脳梗塞」の後遺症を抱えて過ごす独り暮らしも、7年目を迎えようとしています。
「治る」「回復」のない脳障害の後遺症との闘いは「日常生活動作」に要する時間は健常者には考えられない長さなのです。
振り返ること、6年9ヶ月前のことです。
当時 81歳ながら元気でボランティアに参加したり、マイカーでお友達を乗せて 春夏秋冬の「花の名所巡り」や「美味しいもの巡り」などしながら、独り暮らしを楽しんでいた姉に 「脳梗塞発症」と言う病魔の襲撃は思いもよりませんでした。
連絡を受けて、駆けつけた病院で見た姉の姿は「左半身片麻痺」の後遺症姿でした。
「あぁ~、これはもうここのまま 寝たきりになるだろうなぁ」と正直思いました。
だって
- 看護師に抱えられて立たされても、重心が取れず 体は傾いて倒れて行く
- 体は看護師に全身預けたままで、左手はブラリンと下がって ぶらぶら の状態(まるで、濡れた毛布みたい)
- 到底、自分一人では立てない! 立っていられない!
- ベッドでも、寝かせてもらったら、そのままの状態で居るしかないんです
- 動けない、横向けにもなれない、寝返りが出来ないのです。
- 左手・左足が邪魔なだけ!
- 会話も少しままならない(舌が半分、左が変だという)
- 頼りは右手と右足だけ、左側の手も足は 1㎜ も動かせない
- その動かない手足を上手く扱えなくて、思うように動作がままならない
- すべて看護師の手を借りないとどうすることもできない
こんな状態だもの・・・
出来ない「ないない」ばかり!
これでは無理だ!
いったい これからどうなるのだろう?
初めての経験に、私は戸惑うばかりでした。
もう治療はここまで
発症から2週間後、医師から「もう治療としてはここまでです・・・」と言われ
と2択を告げられました。
無性に腹がたった!
このまま、諦めるのか?
イ~ヤ、簡単には諦められない!
と問う 主治医に
思わず
と答えました。
今 このまま何もしないで施設へ入居なんてダメ!
諦めるのはまだ早い!
やれる事に挑戦しなきゃ!
きっと、姉も同じ考えに違いない!
そう私は思ったのです。
やはり 姉も同じ考えでした! リハビリに頑張るというのです。
頑張って家に帰る!
即、転院です。
厳しいと評判の病院ですが「リハビリ療法」への期待は大きいです。
リハビリの効果
やはり「リハビリへの道」を選んで正解でした。
リハビリって凄いです!
毎日 頑張るリハビリには、目に見える効果が現れ始めました。
「脳梗塞」発症して3ヶ月ほど過ぎると
出来なかった日常動作が少しずつ出来るようになってきたのです。
受けるリハビリ
- 言語療法(ことば、聞こえ、食べることの障害改善)
- 理学療法(日常生活においての基本的な動作が行えるように)
- 作業療法(日常生活で行う事となる作業ができるように)
この3つのリハビリに励みます。
このまま、寝たきりの生活にしたくない!
「介護老人福祉施設」へは行かないよ! 自宅へ帰るんだよ!
だからリハビリに頑張ってねと
私は応援するしかありません。
「どうしても 家に帰るんだ!」
との思いで頑張る日々の結果は
- ベッドから起き上がれる
- ベッドの「スイングアーム介助バー」をしっかり掴んでポータブルトイレに移動できる
- 自分で立つことができ、右手だけで用を足せることが出来る
- 衣服も時間は要するが 自分ひとりで着替えられる
- 少しずつ、身の回りのことが自分でできるようになってきた
- ナースコールの回数も減ってきた
凄い結果です。
出来ない「ないない」が・・・
出来る「できる、できる」るる になったのです。
本当によく頑張りました。
療法士の先生方も
と皆さん褒めて下さいました。
もともと器用な姉でしたが、次々とこなして行く姿には感心と同時に誇らしかったです。
この調子で行けば 自宅へ帰れる日も そう遠くはないなぁ~と思いました。
脳梗塞の後遺症って辛いよね
脳梗塞発症後の後遺症の治療は「リハビリ」しかありません。
「もとに戻る」ことのない 左半身片麻痺 の身体を抱えながら、これからは「右半身」を頼りに日常動作をこなして生活するしか術はないのです。
リハビリの効果は、先ず「会話」ができるようになり一安心です。
と聞く姉。
と応えたが、本人はまだ喋り辛いのを 一生懸命 言葉にしているとのことです。
身体の左側すべてがダメなのよ
- 左目見えるけど、瞼がとても重い
- 口の中も半分、舌も唇も思うように動かないし、よだれが出るのよ
- 喉も半分おかしいナ
- 食事も、口内で舌が上手く使えないから食べ辛い
- 左手は、肩から腕が抜けたように、下へ下へと勝手に落ちて、まるで重石を吊り下げているように重たいョ
- 左足も頭では動かそうと命令するが、ビクともしない!
歯がゆい!
少しだけ、ほんの少しでいいから動いてョ って叫びたい!
半身麻痺ってそんなになるんだ
知らなかった!
健常者には想像もできない大変さをはじめて知りました。
後遺症を抱えた日常生活
健常者には何気なく、1~2秒で済ませる日常動作が、大袈裟かもしれませんが左半身片麻痺障害者には2~3分要して毎日、何度もこなして行かねばならないのです。
例えばベッドから移動するには
- 先ず起き上がるのに、ベッドの背上げ機能のボタンを押す
- 右手で左足を引っ張りながら、体をベッドに腰かけの状態にする
- 左足がしっかりと床に着いて、滑らないか確認する
- 滑り止めの付いたスリッパを左足に履かせる
- ベッドのスイングアームアーム介助バーを右手でしっかり掴んで支え、立ち上がる
- 体の重心をしっかり整っているか確かめる
- 右方向にゆっくり少しずつ回転して車椅子に移り座る
- 車椅子の左側フットサポートを降ろす
- 左足を右手で持ち上げ、フットサポートに乗せる
- 右手で左右の車椅子ブレーキを解除
- 右足で床を蹴りながら、右手を使いながら車椅子を移動させる
これだけ順追ってやり遂げなければ移動できないのです。
この間の所要時間は5分~6分
これに比べ、健常者は1分かかりますか?
食事をするにも食器を選ばないと食べ辛いのです。
- 安定性のあるもの
- お箸の挿入角度の良い器
- パンにバターをつけたいとき、パンが逃げないお皿
- 軽過ぎず、重たくない器
- 食卓には滑り止めマットを敷くなどして動きを固定する
- 添え手が出来ないから、汁ものなどの器に工夫と注意が必要
などなど、食べやすい大きさ、噛み切り具合などの食材にも気を配らないと食べるに一苦労します。
「五体満足」なときは 何も考えず美味しく食していたのに・・・(╯_╰)
今は「楽しい食事」「熱々の味噌汁」「お茶漬けサラサラ」なんて望めません。
ただ、食べるだけ・・・
まとめ
リハビリの成果も上々で 発症してから5ヶ月余りで自宅へ帰ることが出来ました。
ぶらんと下がり落ちる手は「痙縮」して固まって、どんどん進行状態です。この痙縮進行にもリハビリや治療が必要になり、4ヶ月ごとに「ボトックス療法」のため 2週間ほどのリハビリ入院を繰り返しています。
発症から6年9ヶ月、困難な生活ですが 今も週2回のリハビリ通院に頑張り、訪問ヘルパーの支援を受けながら日々を過ごしております。
今まで「後遺症」って簡単に言葉にしていたけれど、背負った人にしかわからない困難を克服する大変な事なのだと知りました。
痙縮した姿です
最後までお付き合いいただきありがとうございました。